水槽の深淵
「底砂の厚さって、どうするべき?」
見た目や好みだけで決めていませんか?
実はそこに、バクテリアの働きや有毒ガスのリスク、掃除のしやすさといった、見過ごせないポイントが潜んでいるんです。今回は、そんな底砂の「厚い・薄い」問題について、ストーリーでやさしく解説します。
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(これは2000年代とフィクションが織りなす不思議な世界の物語)
気に入った底砂がある。桜大磯砂だ。
その名の通り、淡い薄紅色をした大磯砂である。
プレコの体色は、濃い色や派手な模様のものが多く、また、水槽内は流木だらけになりやすく、全体の色味も落ち着いた雰囲気になりがちだ。
そこで、何か鮮やかな底砂を探していたところ、この桜大磯砂を見つけたのだ。
あとは設置するだけだが、こうした大きな作業の前には、必ずイメージトレーニングをすることにしている。
「何かあってからでは遅いからね」
水槽の師匠、ロゼッタの教えである。
まずはセルフィンプレコをバケツに避難させ、次にフィルターやヒーターといった器具を撤去。そして、底砂をビニール袋に移動させ、あとは桜大磯砂を入れるだけ
――のはずだった。
あれ?
ふと疑問が浮かんだ。腕を組んで宙を見る。
少ない経験から考えをまとめ、ロゼッタの教えと照らし合わせてみるのだが、どうにも釈然としないのだ。
「底砂って、厚いほうがいいの? それとも薄いほうがいいの?」
底砂の厚さ問題と遭遇した日
水しぶき
翌日。昼休みにキャンパスを歩き、サークル棟へ向かう。
お師匠様とは、そのバルコニーでアクア談義をするのが日課の一つだ。
大小さまざまな建物がある広い構内、赤いブロックで舗装された道を歩き続ける。
ふいに、強い風が背後から吹き抜けた。ビル風だ。
農地のど真ん中に十数階建てのビルを建てたものだから、とてつもない強風が生まれるのだ。
「きゃーっ!」
風の吹いた方向を見ると、噴水の水しぶきがあらぬ方向に飛び散り、女子学生たちが逃げ惑っている。どうやら、そのうちの一人に、どこか見覚えがある。
「ああ、なんてことだ。せっかくの服がびしょびしょだよ」
お師匠様だ。
服を拭いたり髪型を整えたりしながら、「時間がないから」と、急遽今日の談義は噴水の近くの竹林の中のベンチで行われることになった。
「ここなら、高い木が邪魔して水も飛んでこないはずさ♪」
![]() |
・作中の桜大磯砂を使った水槽。この時点で15年物かも |
理想から産み出された幻
「え? 底砂の厚さ? また難問を持ってきたね」
わけを話すと、お師匠様はいつも以上に渋い顔をした。整えたばかりの髪に手ぐしを通し、黙り込んでしまった。
「その、聞いた話ですが、底砂はろ材としても機能するそうです」
底砂には硝化細菌が住みついている。
これは多孔質だからというわけではなく、どんな底砂――たとえば大磯砂でさえ、例外ではない。
つるりとした、あのヤクルトの容器ですらろ材になるのだから、この細菌の適応力は並外れている。最近のプラスチックろ材を見れば、この話もあながち誇張ではない。
「それに、嫌気性環境になれば脱窒も……」
脱窒とは、酸素の少ない環境で脱窒菌が亜硝酸や硝酸からエネルギーを取り出し、その残骸として窒素ガスを放出する、いわゆる硝酸塩呼吸のことだ。
化学反応式だけを見れば、たしかに硝酸は減るため、水換えが必須な水槽にとっては救世主的な働きにも見える。
そこまで言ったところで、お師匠様が口を開いた。
「硝化細菌と脱窒菌……うんうん、言いたいことは分かるよ」
遠くで明るい声の悲鳴が聞こえる。
しかし、こちらではサラサラと美しい葉音を奏でだした。
水槽内は小さな自然だ。
であるならば、魚だけでなく、水草や土壌細菌もまた、その自然に則っているのが理想的に思える。
たとえば、魚の呼吸で排出された二酸化炭素を、水草が太陽の光を受けて吸収し、酸素を放出する。さらに魚はその酸素で呼吸で使うように……。
または、硝化作用によってアンモニアが硝酸まで分解され、植物に吸収され、ときに嫌気性の脱窒菌によって脱窒されたりするように……
「そう考えてるんでしょう? でも、残念。それは、私たちの理想が具現化した“幻”なのさ」
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・底砂薄敷の水草プレコ水槽。 |
天秤
依然として強い風は続いている。
今度はバサバサとした音が響きわたる。おそらく講義のプリントでも飛ばされたのだろう。
だがどうだろう、風が強まるほどに、竹の葉が作り出すやさしい音は美しく、竹林の中はさながら三次元のオーケストラを聞いているようだ。
何事にも裏と表はある。
そんなことを思っていると、ロゼッタはケータイの画面を見せてきた。
水槽の写真のようだが……
「たしかに、事実としてうまくいっている水槽もあるし、実際見たこともある」
ある博物館では、餌やりや水換え、さらにはCO2添加をしなくても、閉鎖環境内で物質の循環がうまく保たれている水槽が展示されているのだという。
「だけど、そういった水槽は、魚の数をごく少数に制限している。場合によっては、小さなエビとコケ取り用の貝だけってこともあるさ」
そう言って、お師匠様は天を仰ぎ、ため息をついた。
「結局のところ、ライトやヒーター、水換えなど、何らかの形で人間が関与しなければ保てない自然なのさ」
なんとなく、言いたいことが分かった気がした。
水槽はたしかに自然ではある。だが、本物の自然とは決定的に異なる。
生き物の密度も違うし、エサも光も、酸素もCO2も、人工的に豊富に与えられる。
そして何より、人間が生態系の維持に関与している。
いや、関与しているどころか――
「結局、飼育者が定期的に水換えをしなければならないのだから、私たちはもう、生態系の一部に組み込まれているということですね?」
にんまりとお師匠様が笑った。
「そういうこと。だから、底砂が厚いと掃除しづらいでしょう?」
「生態系を維持する上で、邪魔になるようなことはするべきじゃない、ということですね」
うんうんと、大きく頷きながらさらに話は続いた。
「それに、嫌気性も問題さ。脱窒だけならいいけれど、硫化水素みたいな有毒ガスが発生することだってある」
「つまり、底砂が厚いと危険ということですか?」
ここでロゼッタは大きく首を振った。
「いや、そこまでじゃないんだ。だから言い直そう。底砂の生態系については、はっきりと分かっていない部分が多い。となれば、リスクが低いほうを選びたくなるよね?」
と、髪をかき上げながら言い淀んだ。
……どうやら、黒に近いグレーといったところか。
つまり、これまでの話をまとめると――
「脱窒や硝化作用というロマンを取るか、それとも掃除のしやすさや安全性というリアルを取るか、という感じですか?」
すると、お師匠様は毛先をいじる手を止め、目を見開いて同意した。
「おぉ、まさしく、そういうことだね。もっとも、水草水槽の場合はそうも言ってられないんだけどね」
強風で千切れた竹の枯葉がくるくると回転しながら落ちてきた。
お師匠様がキャッチしようとすると、寸でのことろで方向転換、そのままショートヘアの上に乗った。
「あはは、まさに絶妙なバランスの上になりたているのさ!」
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・掃除のしやすさを重視して餌は白色の皿に投下していた |
パンドラの箱から出てくるものは?
それ以来、私はプレコ水槽にはなるべく底砂を薄く敷くよう心がけている。
プレコは底床に接して一日を過ごす個体が多い。
食事もタブレットタイプなので水底に落ちるし、糞も流木が混ざって重いため底に溜まる。
そんな彼らには、なるべく清潔な住環境を用意したいからだ。
幸いにも、今まで有毒ガスが発生したことは一度もない。
だが、常々思う。
底砂はパンドラの箱のようだ。
有毒ガスや病原菌――知れば知るほど、さまざまなリスクが浮かび上がる。
一方で、水草水槽のように、重要な役割を担うこともある。
もしかしたら、底砂による有効な脱窒方法が発見され、いつの日か脚光を浴びることになるかもしれない。
まとめ
底砂って、厚いほうがいいの? それとも薄く敷いたほうがいい?
アクアリウムを始めると、こんな素朴な疑問にぶつかることがありますよね。
実は、底砂にはバクテリアが住み着いていて、水をきれいに保つ“ろ材”としての役割もあるんです。
また、酸素が少ない環境では「脱窒」という反応が起こることも。これは水中の硝酸塩を分解してくれる反応で、うまく活用できれば水換えの負担を減らせる可能性もあります。
ただし、酸素が不足した状態が続くと、有毒な硫化水素などが発生するリスクもあるため、注意が必要です。
とはいえ、水槽は自然の再現ではありますが、魚の数が多く、光や酸素も人の手で管理されています。
言い換えれば、私たち自身がこの小さな生態系の一部とも言えるのです。だからこそ、底砂が厚すぎると掃除がしにくくなり、それが原因で先に挙げたような有毒ガスの発生など、思わぬトラブルにつながることもあります。
掃除のしやすさや安定した管理を考えると、底砂は薄めのほうが安心というケースも多いです。
ただし、水草を育てたい場合や、底面ろ過を使うときは、ある程度の厚みが必要になることもあります。
少し話があちこちに散らかってしまいましたが――
結局のところ、底砂の厚さに正解はありません。どんな魚を飼うのか、どんなレイアウトにしたいのか。目的に合わせてリスクを回避しながら、自分なりのスタイルを見つけていくのがいちばんです。
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