アクは敵か味方か?
アクアリウムに流木を入れると、一気に自然の雰囲気がアップしますよね。
とは言え、その茶色い水は、愛魚の鑑賞において邪魔者以外の何物でもありません。
しかし、アクを抜く前に、ちょっと待ってください。
実は、これらはほとんどの魚に害のない成分なんです。それどころか、アマゾン原産の魚たちが心地よく過ごせる水質を作り出してくれるものなんです。
今回は、流木のアクの成分について、ストーリー形式で紹介したいと思います。
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これは2000年代とフィクションが織りなす不思議な世界の物語。
空はどこまでも高く、青く澄み渡っていた。
乾いた風が吹き抜けるたび、街路樹の葉がかさりと音を立てて舞い落ちる。
今その一枚が、わたしの肩にそっと乗った。
桜の葉だ。半年ほど前、薄紅色の花を咲かせていた木々が、こうして静かに散っていく。
儚さの向こうに、確かな季節の移ろいがあった。
校門を出てから、わたしはひたすら国道沿いを歩いていた。
丘陵に沿って緩やかにうねる道は、けれども奇妙なまでにまっすぐだった。
その直線を、わたしは小さな期待と少しの不安を胸に、半時ばかり進む。
流木のアクとブラックウォーター
女性の顔
ふと、前方で手を振る影が見えた。
ショートカットの女性。
わたしのアクアリウムの師匠ことロゼッタだ。
その背後には、白く小さな可愛らしい洋風の店舗。今日の目的地だった。
わたしは駆け寄りながら胸を弾ませた。
今日は、迎えるべき新しいプレコがここにいるという。
だが、会いの予定は、大きく狂うことになる。
――そして
「えぇ? 流木がないのに、なんでこんなに茶色なんですか!?」
思わず裏返った声に、ロゼッタがふふんと笑みを浮かべた。
「それはね……」
その言葉をきっかけに、わたしの知識の扉がまた一つ、開かれたのだった。
チョコグラとブラックウォータ
国道には大型トラックが列をなして走る。
白煙と騒音をまき散らし、鉄と石油の力で大地を引き裂くように進む。
文明の象徴ともいえるその風景に、わたしはうっすらと眉をひそめた。
そんな現実から一転、店の扉をくぐった先は、まるで異世界だった。
水草が揺れ、泡が静かに昇り、水音だけが心を包む。
外の喧騒がまるで嘘のような、静ひつの森。
だが、ロゼッタは一べつもせず、緑の間をつかつかと進んでいく。
どうやら、目指す水槽は店の奥にあるらしい。
だが、水槽を見た瞬間……
「あぁ! なんてこと!?」
ロゼッタが急に声を上げた。
唇をきゅっと結び、地団駄を踏むような仕草をした。だが、眼鏡がずれかけているのにはたと気がつき、慌てて上下に揺れるのを止めた。
その子どもじみた一連の身振りに、わたしはつい微笑んでしまった。
「どうしたんですか?」
「はぁ……グリーンロイヤル売れちゃったみたいなの」
ズレた眼鏡を整え、横髪を直しながら肩を落とす。
その背中は思ったよりもずっと小さく見えた。
「一週間前に調査に来たときはいたんだ! ほんとだよ?」
まるで子どものように必死に訴えているが、彼女が指差した水槽は、すでに空だ。
むなしくフィルターの泡だけが、水のなかでブクブクと踊っている。
無念と言うほかない。
――が。
ふと視線をずらした先、水槽の一つに違和感を覚える。
やけに茶色い。けれど、流木の姿が見当たらない。
「ん? チョコレート……グラミー???」
「うん、チョコグラだよ。愛嬌があって可愛いでしょ?」
中からは、名前の通りチョコレート色に、クリームの縞模様の魚体。何事かと、ゆっくりとこちらをうかがっていた。
「いえ、そうじゃないんです。魚じゃなくて……」
「うん? なになに?」
ロゼッタがきょとんとした顔で、こちらをのぞき込んでくる。
どこにでもいる、女性の顔だ。
だが、わたしの口から次の質問が出た瞬間、彼女の目がきらりと光った。
「流木がないのに、なんでこんなに茶色なんですか!?」
「んふふ♪ よく、気が付いたね!」
低く、よく響く声が店内に転がった。
口角が上がり、髪をかき上げると、その奥の瞳に鋭さが増す。
「これはね! それはブラックウォーターというものなんだ!!」
啖呵を切ると、いつもの得意げに顔、わたしの水槽のお師匠様へと変貌した。
流木のアクがもたらす効果
小柄でどこにでもいるような、ショートヘアの女子大学生だったはずなのだが、今や胸を張り鼻高々と掲げている。
地味に見えるから嫌だ、と言っていたはずの分厚いメガネですらキラリとひかり、博識であるような雰囲気を生み出していた。
そう、まるで生物オタクだ。
「ふふん、そもそも、流木のアクの成分はタンニンやフミン酸などの腐植物質なんだ!」
「――はい??」
一瞬、言葉の意味が飲み込めず、思わず聞き返してしまった。
どうやら質問がどストライクだったらしい。
彼女はわたしの目を真っ直ぐに見つめ、いたずらっぽく笑った。
しかし、タンニンとフミン酸ってなんなのだ?
「それが、流木から出て水を茶色にしているんですか?」
「その通り! でもそればかりじゃないんだよ? これらの成分は硬度を下げて、水を弱酸性に傾ける働きをしてくれるんだ!」
言葉を畳みかけるように続け、言葉の嵐と知識の波に思わず後ずさる。
けれど、必死に内容を飲み込もうと、頭を回転させる。
すると、1つの答えが出た。
「つまり、流木のアクには硬度を下げて水を酸性にする効果がある……ということですか?」
「うんうん、その通り! ここまで理解できたかな?」
わたしがコクリと頷くと、お師匠様がニヤリ笑い、急に真剣な声になって1つの質問を投げかけた。
「ところでアクアくん? キミの大好きなプレコ、彼らが好む水質のpHはについて知っているかい?」
――んんん?
考えても分からない。
綺麗な水、強い水流という、豊富な酸素というのはわかる。
だがpHとなると……、頭の隅々までフル回転して読み漁った資料を思い出すのだが、1つの単語しか思い出せない。そして、苦し紛れに口をついて出た言葉が……
「アマゾン川?」
「うーん、おしい! でも時間切れです! 弱酸性が好きだと言われているんだ。なぜなら……」
「もしかして、わたしが言ったアマゾン川の水質がそうなんですか?」
「その通り! 熱帯雨林の落ち葉や朽ち木から出る腐植物質で黒く染まり、弱酸性になるんだ!」
「それが、現地の水質というわけですね」
「うんうん。だから、プレコは弱酸性が好きって考えられているんだ!」
生まれる疑問
――なるほど。でも、それなら……。
「では、流木のアクを抜いてしまうのは逆効果だと言うことですか?」
お師匠様はふと、天を仰いだ。
その目は泳ぎ、視線は宙を漂った。
「んんん……そうとも言えるけど、プレコはそこまで優先度は高くないかも。それよりも新鮮な水と酸素。それに、水換えや掃除をしていたら、自然と薄くなるからね」
両腕両足を組み、さながら頭の中の思考を絞り出すように、答えを教えてくれた。
――たしかに。
それでも、目の前のチョコグラの水はこんなに茶色い。
なぜだろう。
「あぁ! その子はね、ちょっとデリケートだからね」
お師匠様は、言い訳でもしているか、ショートヘアをクルクルといじった。
「チョコグラの原産地は東南アジアだけど、同じく熱帯雨林なんだ」
「やっぱり、熱帯雨林なんですね」
「そうなんだ。でもプレコと違って、この子たちの飼育は少々難しい。だから、人工的にブラックウォーターを作って水質を整え、ハードルをさげているんだ~」
そう言い終わると、お師匠様がいつものようにわたしの腕を引っ張って、水質調整剤の棚へと導く。そして、勢いよく棚の指示した。
「ほら! こういうアクを煮詰めたようなものが売っていて、数滴垂らすだけでブラックウォーターになるんだ! それに流木と違ってコントロールも利きやすいしね!」
みると、ブラックウォーターと記されたボトルや、マジックリーフにヤシャブシの実といった聞きなれない名前の天然素材が陳列され、ちょっとしたコーナーが出来ていた。
「こんなに多種多様なグッズで、水を茶色くできる、いやあえてするなんて……、流木のアクで苦しんでいたわたしからしたら驚きです」
「んはは! それはそうかもね。つまり、それほどに、熱帯雨林原産地の魚には弱酸性の軟水がキーポイントになっているのかもしれないね」
――ふむふむ。
さっきのチョコレートグラミーほどのサイズなら、すぐに水が汚れことはなさそうだ。
流木のアクでもよさそうだが、添加材で済ませたほうが、濃度の調節も利いて便利なのかもしれない。
![]() |
・添加剤であえてブラックウォーターにする人もいる |
ブラックウォータと水草の相性
残念だが目的の子はいなかった。
しかし、また新たなる知識をしり、一つ賢くなったような気がする。
店を出て、すっかり暗くなった夜の道を並んで歩き始める。
ロゼッタもすっかり女性の顔に戻っている。
だが、彼女は突然バシッと肩を叩いた。
「ごめん、言い忘れたんだけど……」
そこまで言うと、再びあの顔になった。
「いくら弱酸性の軟水でも、水草には向いてないから注意してね?」
お師匠様は、いつものように髪をかき上げ、得意げな顔をしている。
突然のことで何のことかついていけなかったが、どうやらブラックウォーターの話をしているらしい。
「ブラックウォーターの話ですか?」
「そう! それなんだ」
そして、わざとらしく左右の平手でポンと打ち、わたしの注意を惹いて見せた。
「色が黒いということは、それだけ光を吸収しているはずさ」
――あっ。
瞬時にわたしも水槽の世界に引き込まれた。
いくら高性能のライトを使っても、黒く染まった水では光が届きにくくなってしまう。
これでは、せっかくお金が無駄になってしまうだろう。
「それにね、意図的にブラックウォーターにするならともかく、流木のアクを放置するのはあまりよくないよ」
――どうして?
「だって、そのほうがよく魚も水も観察できるじゃない?」
人が手を差し伸べることで初めて成立する、小さな自然。
そこには常に“観察する目”が必要なのだ。
そしてそのためには、できるだけ透明な世界のほうがいい――お師匠様はそう言って、わたしの背を軽く叩いた。
こうして、水草の森のなかで、わたしはまた一つ、新しい知識を得た。
そして、アクアリウムという世界の奥深さに、少しだけ触れられた気がした。
まとめ
アクアリウムに流木を取り入れると、水槽の雰囲気がぐっと自然に近づきます。特に自然河川を再現したレイアウトでは、流木は欠かせない存在です。
アマゾン川流域の水は黒く染まっています。これは流木などから溶け出す「タンニン」や「フミン酸」などによるもので、これらは水を弱酸性の軟水へと近づけてくれる効果も持っています。
弱酸性の軟水は、多くの熱帯魚が生息する本来の環境とよく似ており、魚たちにとっても心地よいものです。特にネオンテトラやコリドラスなど、アマゾン出身の魚たちはこのような水質を好みます。
そのほか、ブラックウォーターには抗菌作用や色揚げ効果など、さまざまな効果が期待できます。
一方で、流木をそのまま使うと水が急に着色されてしまうこともあります。そのため、設置前に「アク抜き」と呼ばれる処理を行うのが一般的です。アク抜きは、流木を煮沸したり、水に長時間浸けたりすることでタンニンの放出を抑え、色付けを抑える方法です。
ただし、これは見た目をクリアに保ちたい場合の対策であり、必ずしも必要があるわけではありません。
しかし、過ぎたるは猶及ばざるが如し。茶色が濃すぎれば観察は難しくなりますから、なるべく抑えたほうがいいのかもしれません。
それでも、難易度が高い魚を飼育するには、キーポイントとなるものなので、魚の種類に応じて検討したいところです。
自然な水色とやわらかい水質。アマゾンの情景を切り取ったような水槽をつくるなら、流木とその持つ成分をうまく活かしてみるのも素敵な選択肢です。
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