巨大流木1本から生まれた答え
流木のアク、それは水槽を茶色く染める憎いやつですが、実は魚にとって無害だということをご存じですか?
今回は、大きな流木を手にしたある人物の決断を通して、アク抜きの大変さや、アク自体の成分と効能について、ストーリーでやさしく紹介したいと思います。
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アクとの共生を覚悟して、いつのまにか消えていた物語
新しい水槽の始まり
(これは2000年代とフィクションが織りなす不思議な世界の物語)
いま、新しい水槽が産声を上げようとしている。
60cm規格の水槽は、まだどこかよそよそしい空気をまとっている。透明なガラス越しに揺らめく無垢な水が、これから始まる新しい暮らしを映しているようだ。小さく息を漏らし、耳をそばだててフィルターのモーター音を確かめる。静かだが、たしかに水が循環している。
準備は完璧だ。
「さて、いよいよだ」
わたしはつぶやきながら、45cm規格水槽の中でゆったりと身を休めていたセルフィンプレコとロイヤルプレコを、土管ごとそっと掬い上げ、新しい住まいへ引っ越しさせたのだが……。
困ったことが起きた。
広すぎる。あまりにも空間がスカスカなのだ。
45cmでは所狭しと窮屈に見えた流木たちが、60cmではちょこんと置かれているようにしか見えない。高さも奥行きもなく、プレコたちが身を寄せる場所としては頼りない。
「うーん……やっぱり、流木が足りないのかな」
その後も納得がいかず、その日のうちにアクアショップへと一人で足を運んだ。
店の奥に並ぶ流木の山。その中に、ひときわ目を引く一本があった。枝分かれした形が美しく、存在感も抜群。値札には「¥7,500」の文字。
「……お小遣いが吹っ飛ぶけど、これしかないか」
しかし、帰宅してから現実に引き戻される。目の前に鎮座する巨大な流木。問題は、どうやってこのアクを抜くかだ。鍋に入るはずもなく、浴槽に入れれば家族に怒られるのは目に見えている。
「はて……どうするべきか……?」
頭の中で考えがぐるぐると渦巻き、まるで煮詰まって湯気が立つような気がした。
だが、一つの境地に至ると、不思議と考えはまとまった。
あとは、わたしの水槽のお師匠ことロゼッタに聞いてみるしかない。
一斗缶の記憶
「また、一斗缶で煮てあげようか?」
彼女の声が、ゆるやかに湿った空気に乗ってきた。
バルコニーの向こうには、梅雨入り間近のキャンパスが広がっている。青々とした木々は雨を吸い、足元の苔からは蒸すような土の香りを発している。昨夜から降り続いた雨の名残が霧となって漂い、肌にまとわりつくと、服越しにしっとりとした感触が伝わってくるようだ。
むわっとした蒸し暑さこそないが、季節が確実に夏へと移ろい始めている初夏の構内。ロゼッタは差し込む柔らかな光を背にして、腕を組んだままバルコニーの手すりにもたれていた。
しかし、正面に座るわたしを見つめながら、先ほどの提案を翻した。
「やっぱダメだ。そのサイズでしょう? 一斗缶には入るわけないもの」
「そうなんですよね……」
今回購入した流木は、60cm規格水槽にぎりぎり収まるほどの巨大なものだった。店で見たときは、勢いに任せて「これだ」と即決してしまったが、いざ目の前にすると、その圧倒的な立体感に少し気圧される。
けれど、それでも後悔はしていなかった。流木は、プレコにとって“ただの飾り”ではない。流木はプレコ飼育において神様、いやご神木なのだ。……心の中で言葉にしてみたが、あまりのオーバーな例えようで自分でも少し笑ってしまった。少々、言いすぎたかもしれない。
でも、あながち間違ってもいないと思っている。
流木は彼らの餌であり、避難場所であり、住処でもある。
セルフィンプレコが昼下がりに吸盤をぴたりと貼り付け、ロイヤルプレコが木の隙間をくぐり抜けていく――そんな穏やかな光景には、絶対に必要なアイテムなのだ。
一つの考えが巡り終わると、わたしは口を開いた。
「これからは、プレコをもう少し増やしたいんです。今の2匹に、あと最低でも2匹。計4匹の水槽にしたいと思ってて」
「なるほどね。それで、そんなに大きな流木を買ったというわけだね?」
「それで、実は、今回は煮沸でアクを抜くのはやめようかな……と」
「これまた、どうしてだい?」
「いや、だって危なかったから」
「あはは♪ そうだった、そうだったね。あれはちょっと危険だったね」
粗熱を取り終えた一斗缶を、コンロから缶を動かそうとしたお師匠様が、バランスを崩したのだ。
ぐらり、と傾いた缶。
あの時は、咄嗟にわたしが手を出したから事なきを得たものの、もし茶色いお湯が床に広がり、くすんだ香りの蒸気が家中を包んだとなれば、その後始末は厄介なものになっていただろう。
最悪、火傷だって起こりうることだ。
危険なことは、もうしたくない。
そう思った矢先、彼女は別の提案をした。
「であるなら、アク抜き剤を使ってもいいし、コスパは悪そうだけど活性炭でもいいんじゃないかな?」
――だが、わたしの腹はもう決まっているのだ。
「もちろん、それも考えたんですけど、それもやめようと思ってるんです」
「ん? もしかして?」
ロゼッタの声に、わたしは小さくうなずいた。
「そうなんです。今回は、アク抜きするの、やめようと思って」
彼女の表情が、わずかに固まった。
けれど、すぐに口角を上げて、穏やかな笑みを浮かべた。
「なるほど……攻めるね」
「はい。でも、今回は試してみたいんです。どこまでアクが出るか、どこまで水が染まるか、そしてプレコたちがどんな反応をするのか」
ロゼッタは静かにうなずいた。
「いいと思う。経験してわかることも多いしね」
アクの色は有害か?
「そもそも、流木から出るアクは有害な成分ではないんですよね」
「あぁ、もちろん。タンニンとかフミン酸とか、フルボ酸、そういう有機物が染み出ているんだ」
「それって水を軟水の酸性に傾けるんですよね」
「うん、そうだよ。自然の流れの中では、ごく当たり前の現象だよね。とは言え、pHが酸性に傾くわけだから、つかいようではあるね」
と振り返り真剣な顔で言ったので、わたしも目的を告げることにした。
「であるなら、アクが出れば、見た目も水質もアマゾン川にそっくりになるわけじゃないですか?」
ロゼッタは一瞬きょとんとしてから、微笑んだ。
「まぁ、そういうことになるかな」
「プレコのためを思えば、茶色の水も、それもありかなと思ったんです。それに現地の再現になりますし」
どこか誇らしげな響きが混ざっていたのかもしれない。それを聞いた彼女は感嘆の声を上げた。
「おぉ……ついにそこまで考えがたどり着いたんだね?」
彼女が数度眼鏡の蔓を上に押し上げると、頬を紅潮させにんまりと微笑んだ。
事実、アマゾン川原産の魚たちは、弱酸性で軟水を好む。
「せっかく器具で、豊富な酸素、強い水流、綺麗な水を用意しているのだから、色もpHも本場に近いものを、と思いまして」
「なるほどね。行きつくところに行きついた感じだね?」
実際問題、1年間のプレコ飼育で肌に感じたことは、夜行性で神経質な魚である彼らの心を穏やかに生活させることの大切さだ。よほど人慣れたプレコでない限り、目の前で無防備な姿を見せることはまずないのだ。
その一助になるのなら、あえて水槽の色に目をつむろう……と決意したのだ。
「つまり、キミもようやく、見た目の美しさよりも、魚たちの気持ちに目を向けられるようになったのというわけだね? ボクとしては嬉しいよ。ただし……だ」
じっとわたしの目を見て口を開く。
「時々pHも測ろうね? pHが弱酸性よりもさらに酸性に傾くことだってある。それはやっぱり強すぎだから、そうなったら水換えだよ?」
「もちろんです。今回はプレコのためにブラックウォーター化するわけですから」
「あはは、それにして随分と潔いね?」
実は、簡単に透明へのこだわりを捨てられたのには、もう1つ理由がある。
「それは、水を透明にしようと思えば、いつでもできることを知ってしまったので……」
「ん?」
「活性炭です」
「あぁ、もしかして、ひかりウェーブのブラックホールのことかい?」
「そうなんです」
わたしは少し笑いながらうなずいた。
「もっとも、あの流木では短時間しか持たないでしょうけどね。それでも、茶色の水が本来の姿だと思えば、今のわたしにとっては十分なんです」
ロゼッタは目を細め、静かに息を吐いた。
お師匠様はベンチから立ち上がると、天を仰ぎながら数度うんうんと頷いた。
その表情には、師としての安堵と、どこか寂しげな感情が入り混じっていた。
「なんとまぁ。んふふ、随分と立派なプレコマニアになったもんだねぇ」
陽はゆっくりと傾きつつある。
夏至前の東の空は、透き通る青さを保ちながら、色が抜けるように漆黒の闇に移りつつある。桜並木を通り抜けていく風はまだまだ冷たい。
しかし、家に帰れば、常夏の水槽が待っていてくれるだろう。
わたしの、プレコ水槽ライフは始まったばかりなのだ。
琥珀のゆらめきを手に
それから数週間が過ぎた。
わたしの60cm規格水槽には、新たにサタンプレコが加わった。
茶色のとげとげとした鎧を身にまとった体には、どこか荒々しい存在でうまくやっていけるのかと不安だった。しかし、思いのほか温和な性格のようで、それも杞憂に終わる。
今日もグリーンロイヤルとの相撲に5秒で負けて、流木の陰に逃げ帰ってきたようだ。とは言え、怯えて食事もできないというわけでもなく、不思議と安心感さえ覚えるメンタルの強さだ。
アク抜きをせずに沈めた大流木は、大方の予想通り、水槽全体を見事なまでにブラウンへと染め上げた。最初の数日は、その色合いに戸惑いもしたが、時間が経つにつれ、それがどこか優しい光に変わっていっていく。
そんな水槽では、流木の1つのピークにグリーンロイヤルが水槽全域を警戒するように張り付いている。目を付けられたサタンプレコは隠れるように隅でゆったりと尾を揺らし、セルフィンプレコは我関せずと根元に残った餌を漁っている。
思いのほかうまくいっているようだ。
だがその平穏の裏では、想像以上の“生産量”が待っていた。彼らが作り出す糞の量、そして木くずの量、その膨大さたるや、笑うしかない。
せっせと週に二度、三度水換えを繰り返すうちに、少しずつ水の色は薄まり、やがてほどよい琥珀色を保つようになった。
照明の光を受けて茶褐色の水面がゆらめく、そんな水の中では今日もプレコタブレットを巡っていさかいが起きている。おおむねグリーンロイヤルが持ち逃げをしたのだろう。
どこか微笑ましいアマゾンの川底を覗き込んでいると、不思議な充足感があったような気がした。
まとめ
プレコを飼ううえで欠かせないのが流木です。
流木はただの飾りではなく、魚たちの隠れ家であり、餌であり、縄張りとなる重要なアイテムです。
特にセルフィンプレコやロイヤルプレコのようなプレコは、吸盤で貼り付いて休んだり、根元をねぐらとすることも多く、安心して身を寄せられる流木は生活の質の向上に直結します。
また、流木からはタンニンやフミン酸、フルボ酸などが溶け出し、水が茶色く染まることがあります。これをアク抜きするかどうかは飼い主次第ですが、必ずしも完全に抜く必要はありません。
なぜなら、茶色い水は自然界のブラックウォーターそのものであり、アマゾン川原産の魚にとって落ち着ける環境に近づけるからです。
もちろん、強すぎる酸性に傾く場合はpHを測定して水換えで調整するのが安心です。
なお、流木のアクは煮沸で抜く方法もありますが、大きな流木だと危険が伴うため注意が必要です。また、最近ではアク抜き剤や活性炭を使って短時間で透明な水にすることもできます。とは言え、アマゾン川原産の魚が好きなら、あえてそのままにして魚の反応を観察する楽しみにするという人もいます。
このように、流木はプレコが安心して水槽で過ごすことができる、ご神木的存在だと言えるでしょう。茶色の水が本来の姿であることを理解し、魚たちに適した環境を整えることが、彼らの住みよい水槽づくりの鍵となるのです。


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