黒ひげ苔をお酢で駆除する
水槽をのぞき込んだとき、緑の葉を覆い尽くすように黒々としたフサフサの苔が広がっていたら、がっかりしてしまいますよね。それが「黒ひげ苔」です。
根元は硬くて取りづらく、気付けば水槽全体の景観を乱すやっかい者。そんな黒ひげ苔に、実は身近な「食酢」が効果を発揮するって知っていましたか?
今回はストーリーでやさしく紹介していきます。
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薄曇りの朝、部屋の奥に置かれた水槽は仄暗く、さながら早朝の清流のようであった。
中央にたたずむアヌビアスの葉は、黒いフサフサにびっしりと覆われている。
時折ネオンテトラが葉に触れると、ぐらぐらと悶絶するように揺れ、窮地を訴えて助けを求めているようだった。
初めて黒ひげ苔と対峙する
調子を崩したアヌビアス・コーヒーフォリア
問題がある。黒ひげ苔だ。
今までは気まぐれにトリミングして捨てていた。だが、ある日を境に苔との戦いは、気付けばこちらが圧倒的に不利になっていた。
発端はグリーンロイヤルとセルフィンプレコの闘争である。
押し合いへし合いの争いに巻き込まれ、アヌビアス・コーヒーフォリアは抱きつくように活着していはずの流木から剥がされてしまったのだ。
朝になると葉の塊がふわりと水槽を漂い、そのたびに茎を傷つけぬようやんわりとビニタイで固定し直す。だが、毎夜開催される相撲の被害に遭い、朝には元に戻ってしまう。
そんな生活が数週間続いたところで、位置が定まらないことがストレスなのか、アヌビアスはすっかりと新芽を出すスピードを落としてしまった。
ならばと、新しい水槽を用意した。
しかし光が強すぎるのか、それとも移動のショックか。
あるいはネオンテトラのために入れたエアレーションの勢いが強すぎたのか。
生長速度は依然として上がらず、それどころか黒ひげ苔の侵略範囲がだんだんと広がるばかりだった。
「なんとかして、この勢いを止めなければ」
決意して呟くと、頼りすがる相手はただ一人。
「……お師匠様に相談だ」
最終兵器木酢液
午後のキャンパスは柔らかい日差しに包まれていた。わたしは講義を受けるビルの地下一階にあるロビーへ向かった。ここには美しい湾曲を描いた木製ベンチが大きな観葉植物を囲むように配置され、学生たちの待ち合わせや雑談の人気スポットになっている。
3限終わりの昼、眠気に誘われながらうつらうつらしていると、途端に至る所からガヤガヤとした声が聞こえ始めた。3限の授業が終わったらしく、学生たちがわらわらと講義室から出てくる。キョロキョロと辺りをうかがっていると……
「よっ♪ 待った?」
と声をかけてくるのは、白いダウンコート姿の女性。
彼女こそ、わたしの水槽のお師匠様、ロゼッタである。
アヌビアス・コーヒーフォリアに起きているトラブルを伝えると、彼女は腰に手を当てて声を張った。
「それなら木酢液だよ!」
「……木酢液?」
「木酢液は、木炭を作るときに出る煙を冷却して得られる液体さ!」
わたしは思わず聞き返し、鼻先を幾度か指で擦ると、いつもの得意顔で話を始めた。
「これが強烈な香りでね、よく苔に効くんだ! 黒ひげ苔はすぐ赤くなって消えていくのさ!」
「えっ、香り? どんな香りがするんですか?」
「そうだね、人によるけれど……ヨードチンキやタバコ、焚火、ウィスキー、そんなふうに例えられることが多いかな?」
その口調の明るさとは裏腹に、わたしの胸には不安がよぎった。それは香りではなく、臭いではないだろうか?
「つまり、煙に燻された系の香りということですよね。それってやっぱり……」
「そうなんだ。人によって好き嫌いがはっきりするんだよね。だから、はっきり言って嫌がる人もいるはずさ。でも、そればかりじゃないんだ!」
彼女は小さくため息をついた。
「焚火の香りってすぐには取れないでしょう? それと同じで、うっかり手に液体が付くと、すぐには取れないんだ」
「それじゃあ、ちょっと困りものですね?」
「でもね、効果は抜群なんだよ?」
お師匠様は鼻息荒く話を続ける。
「たしかに臭いは不人気さ。でもね、効果が圧倒的すぎるから、みんな我慢して使っているほどさ!」
「にわかに信じがたい話です。そんなに効くものなんですか?」
わたしの声は自然と硬くなり、彼女は雄弁に語った。
「もちろんさ! 3倍以上に薄めて、さらに時間制限を設けるくらいなんだから!」
「そんなに?」
「この間なんて、つい1分多く漬けすぎて、ウィローモスを枯らしちゃったんだから!」
「えっ!? そこまで強いんですか!?」
そう言う彼女の顔を見ると、両手で顔を覆っていた。反省の色が色濃く出ているその姿に、わたしは不安になる。
――そんなに強いものを使って大丈夫なのだろうか?
その気持ちが高まると、自然と口に出していた。
「あの、もっと効果が弱いものはないんですか?」
耐えきれずに問いかけると、ロゼッタは肩をすくめ、にやりと笑った。
「はーん、そうなると……食酢だね!」
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・葉のフチが狙われることが多い |
食酢でも作用強し
「食酢って……?」
「ん? 男子には分からないかもしれないけど、読んで字のごとく、つまりお酢のことさ!」
彼女は瞬きをしつつも、楽しげに説明を始めた。
「まぁ、いくつか種類があるんだけどね。穀物酢か米酢あたりでいいと思う」
にっこりと笑う顔は、どこか安心感を与える。
「木酢液ほど強くはない。でも、香りも穏やかだし、強烈にこびりつくこともない。だから使いやすいんだ」
「なるほど……それはよさそうですね!」
わたしがほっとしたように息を吐くと、次の瞬間、彼女は人差し指を立てて、わたしの頬をツンツンと突いた。
「でもね、油断すると枯れるから注意してね?」
突然の仕草にわたしは呆然とした。けれど、その瞳の奥は鋭く光り、食酢ですら危険物だと告げていた。
「そう言えば、使い方をまだ聞いてませんでした」
「あっ、そうだったね。ボクは3倍に薄めて使ってるよ。水槽から取り出してから、刷毛で塗ってもいいし、スプレーボトルで噴霧してもいい」
「あ、思ったより簡単なんですね?」
「まぁ一応ね。でも、塗ってから30秒以内に必ずカルキの抜けた水ですすぐこと。なるべくタイマーを用意した方がいいよ」
「そんなに短時間……?」
思わず眉をひそめる。食酢と言えども、やはり危険なようだ。
「最初は4倍に薄めて15秒。それも目立たない部分から試すべきだね」
ショートヘアーを手櫛で整えると、甘酸っぱい香りが辺りに広がった。
幾ばくかの間を置いた後、頬をポリポリと掻いてから口を開いた。
「実はね、ボク、食酢でも失敗したことがあるんだ。アヌビアス・ナナを枯らしかけてね……」
「え゛……食酢でも?」
わたしは息をのむ。
「正確には、生長が止まる程度で済んだんだけどね。だから、何度も言うけど苔にも効くし、もちろん水草にも効く。これは分類的に近い存在だからだろうね」
彼女は深く息を吸い、長いため息を吐いた。
「それとね、使用後の観察もしっかりとね? 男子ってそういうの苦手でしょ? でもしっかりとね?」
「でも、苔はすぐ赤くなって死滅するって……?」
「それは苔の話。もし効果が強すぎて水草が枯れるときは、2週間以上かけてじわじわ朽ちていくんだ。だから、最低でも1週間は観察してほしい」
気が付けば地下のロビーはわたしたちだけ。
「それと食酢、木酢液は必ず自己責任で利用すること!」
タイル張りの静かな空間には、会話だけが響いていた。
実践してみる
数日後、わたしはスーパーで穀物酢を手に取り、100均で小さなスプレーボトルを買い求めた。
台所で水で4倍に薄めると、酢の酸っぱい香りが空気に広がり、少し鼻を刺激する。
静かにアヌビアスを取り出し、空のバケツに入れる。
腕時計をタイマー代わりにセットし、秒針の動きを凝視する。
そして、シュッシュと数プッシュ。
霧が葉の表面に広がる。
15秒後、慌ててカルキ抜きした水に沈め、葉を丁寧に濯ぐ。
水槽へ戻すと、アヌビアス・コーヒーフォリアの滑らかな葉の縁が、わずかに赤みを帯びた。効果はあるようだ。しかし、水草はどうだろう?
光を反射してその色が透けるのを見たとき、胸に不安と期待が同時に走る。
1週間後――。
水草は健やかな姿を保っていた。黒ひげ苔は、ほんの少し勢いを失ったように見える。
小さな成果に、わたしは静かに拳を握る。
「……合格だ」
まだ道のりは長い。
だが、これで確かに一歩前へ進んだ。
わたしは水槽に映る自分に微笑みかけた。
待ってろ、黒ひげ。次は、もっと深く切り込んでやる。
まとめ
水槽を楽しんでいると、いつの間にかアヌビアスなどの水草に「黒ひげ苔」がびっしり生えてしまうことがあります。硬くて丈夫なこの苔は、手で取るのも難しく、アクアリストを悩ませる存在です。そこで活躍するのが、身近にある「食酢」です。
食酢に含まれる酸は黒ひげ苔に作用し、赤く変色させて弱らせる効果があります。木酢液に比べるとやさしく、香りも強烈に残りにくいので扱いやすいのがポイントです。ただし、「水草にとっても酸は刺激になる」ということを忘れてはいけません。
使い方の基本はシンプルです。まずは苔のついた葉や流木を水槽から取り出します。そして、食酢を水で薄めます。目安は3~4倍程度。薄めた液をスプレーボトルや刷毛で黒ひげ苔に塗布し、作業開始後から15~30秒ほど待ちます。ここで必ずタイマーを使うのがコツです。時間が長すぎると水草までダメージを受けてしまうため、最初は「4倍に薄めて15秒」など、控えめな条件から試すと安心です。
処理を終えたら、必ずカルキ抜きした飼育水でよくすすぎ、きれいにしてから水槽へ戻します。作業後すぐに劇的な変化が出るわけではありませんが、数時間~数日すると苔が赤く変色し、やがて力を失っていきます。この時、水草の葉も傷んでいないか、最低でも1週間は様子を見ることが大切です。
黒ひげ苔はしぶとい相手ですが、食酢を正しく使えば十分にコントロールできます。ポイントは「薄める・短時間・しっかりすすぐ」。この3つを守れば、水草を大きく傷めずに美しい景観を取り戻すことができるでしょう。
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